歳を重ねると肌のくすみや白髪などの変化の影響からか、何を着ていいのかわからなくなっている。
それは、40代くらいから始まっていたように思う。
そう、私は今、絶賛 おしゃれ難民中 なのだ。
しかしながら、クローゼットの中を見ると、隙間がないくらいの服の数。
Why?
数はあるのに着る服がない
毎朝、『今日は何着るかな、、、着る服がない』という人は、もしかしたら、年齢関係なく少なくないのかもしれない。
何故、着る服がないという状況に陥るのか。
好きな服、気に入って買った服ばかりなはずなのに、、、
その原因の一つに 自分のスタイル というものがないからという
書籍「1000枚の服を捨てたら人生がすごい勢いで動き出した話」(講談社)の著者 昼田祥子さんは、
毎日いろんな服をとっかえひっかえではなく、落ち着く格好、シャツとパンツ(ユニフォーム化)とし、どんな日も『これでいい。これさえあればいい。』にしたのです。
ただ、そこに行き着くまでには、自分をよく観察したといいます。
例えば、時間がない!という時に選んで多かったのが”シャツとパンツ”のスタイル。
買いたくなる服・目に留まった服も大半が”シャツとパンツ”だったという。
『これが自分にとって心地いいコーデなんだ』と発見できたのです。
”シャツとパンツ”とはいえ、シルエットの違い・色の組み合わせも考えればバリエーションは無限大なので飽きることもないですよね。
自分の基本形を見つけること がポイントなのです。
おしゃれに見える人とは
おしゃれな人とはアイコニックがある人なのかもしれない。
・コロコロスタイルが変わらない。
・いつも同じテーマ(その人を象徴するもの)、スタイルがある。
・そして、どこかしら余裕のある雰囲気がある。
いつも同じ服装(似たようなスタイル)なのにおしゃれに見える人っていますよね?
そういう人には”基本形”があった上での、ポイントで楽しんだりしているのでしょう。
そう!本来、おしゃれはリラックスして、肩肘はらないもの、楽しむもののはずなのだ!
手放せない、捨てられない服があるのは何故?
服を買う時に他人の目を意識していないだろうか?
自分のクローゼットなのに他人のクローゼットになっていないか?
どきッ!!図星!
真っ先に他人にはどう見られるかな?って考えている自分がいる。
他人軸で動いているということは、自分に自信がない証拠。
その上、他人軸で買ったものだけど、その数を減らすとなると不安になる、、、
一向に手放せない・捨てられないのだ。
先ずは、自尊心を高めることから始める必要がある。
おしゃれじゃなくても、服がなくても、どんな自分であっても認め受け入れ、愛する。
固定概念は、”おしゃれに見えなきゃ” ”同じ服を頻繁に着れない” ”年齢的にそれなりの格好が必要”、、、などなどの思考では、本当に心地いい服は見出せない。
その2点を少しずつ解放して 着れない・似合わない服は手放し、自由になっていこう。
自分を丸裸にしたら、、、何が見えてきた?
服がなくても、自分の何が失われるだろうか。
考えてみよう!
おしゃれしなくても・服を捨ててしまっても、なくならない自分の良さをあげてみよう!
んー自分の場合だと
- 大きい病気をしたことがない健康な身体
- 真面目に仕事をすること
- 忍耐強い性格
- 楽しむ性格
- 家事が好き(それなりにできる)
こうやって自分観察してみると物欲は減るような気がする。笑
購買欲が高まっている時は、足りないことばかりにフォーカスをしていないか
定期的に自分と向き合う時間は必要なようだ。
昼田祥子さんレベルまでになると
服は好きだけど、
あってもなくてもどっちでもいいの極地まで行くと服は減らせる らしいです。(苦笑)
まとめ
それより、毛先と踵を潤せ!
結局、おしゃれは人それぞれの好みがある訳だから、他人軸で買ったり、着たりするのはおかしな話。
服を購入する時は、それを買う固定概念は何?他人の目線はない?と自問自答して、自分軸をしっかり持って
おしゃれする必死さを購買で満たさないことだ。
必死さって幼いのかも。大人は余裕を持たないとね。
それよりも、先ずは髪の毛先と踵を潤わせることを努めた方が大人の余裕に近づくのかもしれない。笑
実は○○が問題だった!のオチ
その前に、体型が邪魔をしているのを考えよう。笑
おしゃれする前の話、振り出しだ。泣
このおばちゃん体型を脱して!一から見直し考えてみたい。
おしゃれって、『おしゃれだね』と言われるのも嬉しいけれど、『スタイルがあるね』と言われた方がより嬉しいかもしれない。
本当に好きなコーデ・自分にとって心地いいコーデ、自分のスタイルを探求していきましょう。